役満(国士無双)の発生確率は1万分の3という数字があります。数多い役満の中で最も難しいのは「天和」、その確率は33万分の1と言われています。
10月28日(土)の当会麻雀会月例会は9名の参加で行われました。終盤に差し掛かったA席では、何やら只ならぬ雰囲気が?・・・。
そして上席のリーチにも怯まず耽々とさし進めていた足立 弥寿征さん(S41商)が、おもむろに「ロン!」(和了)の声。全員が覗き込んだその手役は、なんと「国士無双」の役満。
その上り牌は、ラス牌の「白」でした。嬉しさのあまり飛び跳ねるのではと傍から見ていましたが、足立さんのその顔は、むしろ恥ずかしげに微笑んでいたのが印象的でした。
その胸中を思いやると、振り込んだ相手を慮る武士の情けを感じてしまいました。(「お主、出来るの-」)
麻雀というゲームの歴史はそう古いものでは無く、中国各地の民衆の中で遊ばれていた麻雀に似たゲームが統一化され、現在のような形になったのは19世紀の後半。
日本に初めて麻雀を紹介したのは、彼の“夏目漱石”だと言われます。
漱石が中国(当時は支那)を歴訪した時の紀行文「満韓ところどころ」を明治42年(1909年)11月19日付東京朝日新聞に掲載しましたが、その中に麻雀に興じている4人の様子を掲載しています。
その頃中国に進出していた欧米列強の間でも、麻雀は特に上海で大流行していたようです。ヨーロッパへは東印度会社により伝播され、1920年代にはヨーロッパ全域に広がり、主に上流階級の社交ゲームとして遊ばれるようになっていたとのこと。
豊島稲門会諸兄も学生時代を思い出し、ぜひとも私たちの仲間に参加されたし。「友よ来たれ!、酒好きよ来たれ!、認知症予防を志す者来たれ!、暇人も来たれ!」
参加者:高島民雄、足立弥寿征、石塚努、上島英治、中嶋佐武郎、服部和敬、平野英雄、溝口元、加藤重光 以上9名(順不同/敬称略)
(文責:加藤重光、写真:加藤重光)